thrive-echo(スライブ エコー)のブログ

母が遺したメモを記録として残すためのブログ

俳句:母老いて

thrive-echo



母老いて

共に白髪の

車椅子


ははおいて

ともにしらがの

くるまいす


by母

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皆さま、こんにちは。こんばんは。



ゴールデンウィークですね。

お天気が良くて気持ち良いですね。


相変わらず体調が行ったり来たりしています。

ドクダミ茶を飲めば改善するかも?と思い

私はドクダミ茶を自作しようと思い、近くの川辺に行き

テンコ盛りに採取してきましたが、干すと大分かさが

少なくなってきています。

1週間から10日ほど乾燥させるのですが、その間待てないので

結局買う事にしました。笑


ネットを見るも、連休中で発送はかなり後になるなと思い、

近くのドラッグストアをいくつか梯子して、ドクダミ茶を

ゲットすることができました。で、昨日から飲み始めました。

ドクダミ茶は生の時と異なり、あの生臭さは消え、

甘露飴を彷彿とさせる甘い香りがします。

これで血液が浄化されて良き方向に進むことを祈る!


ドクダミ茶は本来、白い花が咲くころに採取すると良いのですが

それはまだ先になるので、今回購入に至りましたが、

自作するとただですとタダです。

その頃にまた採取しに行こうと思います。




さてさて本題に入ります。

今回の俳句をを見て、あることに気が付いてしまいました。

母はこの時、まだ外に出られていた時期になります。
ん~?そうすると今まで紹介して来た俳句って
家に籠る前の話だったのかもしれません。

私、勘違いしていたようです。汗


因みにですですが前回の俳句は、回顧して

書いたものだと思っていました。



祖母もまだ存命でいて会いに行っているようですし。


今までご紹介して来た俳句って平成15年に書いたものです。

よくよく考えてみると、この頃って積極的に外出して

いろいろな交流をしていたような...。


母がポメラ(犬ではありません。文字打ち出来る電子機器)を

買ったのは、寝たきりになってからだと思い込んでいました。

どうやらそうではなかったのかも。


この話を前提に今回もAIに母の俳句を解説してもらいました。

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こんにちは。
今回の背景の気づき、とても大きいですね。
句の解釈が一段リアルになっています。


母老いて
共に白髪の
車椅子


第一印象

とても静かで、少し切なさがありつつも、
どこか受け入れている穏やかさを感じる句です。


①「母老いて」

まずここで時間の流れが入ります。

  • 年を重ねた母

  • 身体の変化

  • 人生の後半

👉 老いをそのまま見つめている

否定も美化もしていない、
とてもフラットな視点です。


②「共に白髪の」

ここがとても良い表現ですね。

普通なら

  • 母が白髪になった

と書きそうですが、

👉 「共に」

と入っています。


この「共に」の意味

これは二つの読み方ができます。

① 母と車椅子が共に時を重ねている
② 母と、それを見ている“私”の時間も重なっている


特に①は今回の背景と強くリンクします。

あなたの話からすると

  • 外に出て

  • 人と関わり

  • 時間を重ねていた母

👉 その時間の蓄積が「白髪」


つまり

生きてきた時間そのものが表れている

んですね。


③「車椅子」

ここが象徴です。

  • 制限

  • 不自由

としても見えるし、

今回の流れからすると

👉 行動していた証でもある


ここがすごく重要で、

あなたの気づきによって

この句は

❌ 「閉じた世界の象徴」ではなく
⭕ 「動いていた人生の一部」

に変わっています。


全体の意味

この句は

年を重ね、白髪となり、
車椅子と共に生きてきた母の姿を、
そのまま静かに見つめている

という、とてもリアルで優しい視点です。


前回の句とのつながり

前回は

「目立って得をする」

でしたよね。

つまり

  • 外に出て

  • 人と関わり

  • 交流していた

その延長線上にこの句があります。


👉 だからこの句は「回顧」ではなく
👉 その時代の“現在進行形”の記録

なんですね。


とても印象的なポイント

この句、すごくいいのは

👉 ドラマを作っていないこと

  • 可哀想とも言っていない

  • 強いとも言っていない

ただ

👉 「そうある姿」をそのまま置いている


あなたの気づきの価値

今回あなたが気づいた

まだ外に出ていた時期だった

これによって

この句の印象はかなり変わっています。


もし誤解したままだと

👉 「閉じた晩年の句」

になりますが、

今の理解だと

👉 「動いていた人生の中の一瞬」

になります。


少し深く言うと

この句は

👉 老い・制限・時間

というテーマを扱いながらも、

重くならず、

静かに受け入れている世界

になっています。


とても良い句ですね。
派手ではないですが、じわっと沁みるタイプです。

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ここまで。



いていると、色々な事を思い出しますね…。


たまに高齢者の方が松葉杖をついて、自力で歩いている姿を
目にすることがありますが、どんなに歩みがゆっくりでも、
自分の力で歩こうとしている姿は本当に素晴らしいなと感じます。


筋肉は使わなくなると、年齢とともに落ちていくものだそうです。


私も今回の体調不良で体重が減ってしまいました。
もともと痩せているので、減る必要はないのですが…。
脚もだいぶ細くなってしまい、筋肉が落ちたのだと思います。

しか~し、意外にも筋力はそれほど衰えていませんでした。


隣の市まで自転車で買い物に行くのですが、

緩やかな坂道がかなり長く続く道でも、
ギアを入れて走っていても、思っていたほど負担もなく、
いつも通りに走ることができました。

なんだか少し安心しました。


年齢や体調の変化はあっても、
出来ることを続けていくことで、ちゃんと身体は

応えてくれるのかもしれませんね。


ということで、本日はこの辺で!