俳句:正法は

正法は
心養う
薬なり
しょうほうは
こころやしなう
くすりなり
by母
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皆さま、こんにちは。こんばんは。
お天気、ようやく回復しましたね。
暑いのは嫌だけど、晴れて欲しいと願っていました。
わがまま。笑
最近、ラインスタンプを作っていました。
何かに集中していれば、自分の病から気が逸れるんですよね。
今、審査中です。審査が通れば晴れてラインスタンプとして
世に出せる感じです。
調べてみると審査て1-2日とありましたが
まだ連絡が来ません。
今ってAIでもお手軽にラインスタンプを作れるように
なったので沢山の人が作成しているから
審査が込み合っているのかもしれません。
私は地道にイラストレーターというソフトを使用して
自分で作っています。
今回作成したのは黒猫のキャラクターです。
結構どんなシチュエーションというか、言葉や表情などを
どうするか、悩みました。
審査が通ったら、ご紹介したいと思います♪
さて本題です。
今回もAIに母の俳句を解説してもらいました。
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では、句を見てみましょう。
正法は
心養う
薬なり
これは、とてもストレートな句ですね。
「正法は」
まず「正法(しょうほう)」。
ここは、お母さまが信仰していた法華経の教え、
広く言えば仏教の教えと捉えます。
つまり、
「仏教の教えというものは――」
という書き出しですね。
「心養う」
ここが、この句の中心だと思います。
「心を養う」とは、単に知識を増やすということではなく、
心の持ち方を整える
物事の受け止め方を学ぶ
苦しい時に心が折れないようにする
自分自身を見つめる
人生について考える
といったことを含んでいるのでしょう。
お母様は、病気になってから仏教や心についてかなり
勉強されていたとのことでしたから、これは単なる一般論ではなく、
実際に自分の人生の中で教えを必要としていた人の言葉として読むと、
重みが出てきます。
そして「心を治す」ではなく、
**「心を養う」**という表現なのも面白いです。
「心の薬」というと、悪くなったものを
元に戻すイメージがありますが、「養う」はもっと長期的です。
植物に水や栄養を与えて育てるように、
日々、教えによって自分の心を育てていく。
そんな感覚があります。
「薬なり」
そして最後に、
「薬なり」
と断定しています。
つまりお母様にとって仏教の教えは、単なる趣味や知識ではなく、
人生を生きていくための「心の薬」だった
のでしょう。
病気を抱えて生きていく中で、身体については医師や薬の力を借りる。
一方で、身体とは別に、
「この状況を私はどう受け止めるのか」
「なぜ自分はこの人生を生きているのか」
「苦しみとは何なのか」
という心の問題がある。
そこに対して、お母様は仏教の教えを「薬」としていた。
そう考えると、かなりお母様らしい句に感じます。
そして、今回この句を読んで私が特に面白いと思うのは、
「薬」という言葉です。
薬って、病気そのものを消してくれるとは限らないですよね。
痛みを和らげたり、身体の状態を整えたり、回復する力を助けたりする。
それと同じように、
仏教の教えが人生から「苦」を全部取り除いてくれるわけではない。
でも、
苦がある人生を、どう生きるか。
苦しい状況を、どう受け止めるか。
その中で心をどう保つか。
そこを支えてくれる。
そう考えると、「心養う薬」という表現は、かなりしっくりきます。
そして、これまでの句を並べてみると、今回の句が
突然出てきたわけではないんですよね。
「なぜ病/それも人生/受け入れて」
「人は人/我が人生に/誇り持ち」
「夢に見る/実り栄える/時待って」
「真の幸/苦楽あわせて/感謝かな」
そして今回、
「正法は/心養う/薬なり」
となる。
こうして見ると、お母様がこれまで書いてきたことの
**「心の支えは何だったのか」**が、
ここで出てきたようにも感じます。
「病気も人生」
「人と比べない」
「時を待つ」
「苦も楽も含めて感謝する」
そういう考え方を、お母様は単なる精神論として言っていたのではなく、
自分が信じて学んできた仏教の教えによって、
自分自身の心を養っていた。
そんな背景が、この三行から透けて見える気がします。
そして、今回の句はかなり短いですが、お母様の人生を考えると、
もしかすると今までの句の中でもかなり重要な一首かもしれません。
「私が長い人生の中で、心を支えてくれたものはこれだった」
と、お母様自身が静かに語っているような句ですね。
ここまで。
そうですね、母は独身時代から信仰していました。
進行に関して、母との会話で記憶にあるのは、
母の中では信仰=「心の在り方」だったように思います。
「これだったら私にも出来そうだ」というニュアンスの
言葉を言っていたのを覚えています。
両親が信仰していたから、もれなくその子供である私も
自動的に信仰を持つ身となった訳ですが 幼少期、若かりし頃は、
やらされている感が多分に占めていました。
しかし、生きて行く上で辛い経験や社会人になり
色々な出来事を乗り越えるのに、信仰はとても
心の支えになっていました。
ただ、年齢を重ね、段々と私も智慧を付けて行くにつれ、
「宗教」の位置づけが変化して行きました。
最終的に私は母が亡くなる数年前に宗教団体での活動は
止める宣言をしたのでした。
仏教は、私が生きて行く上で必要な指針を示してくれる教えなので、
それを捨てる事はありませんが 宗教団体に所属する必要性は
感じていないという事です。
この話をAIに振ってみました。
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これもAIに振ってみました。
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そうですね。私はそこに、「拠り所」と「依存」の
境目があるのかなと思います。
人は、何か苦しいことが起きたときに、
「自分はどう生きればいいんだろう」
「どう考えればいいんだろう」
「この出来事をどう受け止めればいいんだろう」
と、心の軸になるものを求めます。
それが仏教であったり、別の宗教であったり、哲学であったり、
あるいは家族や仕事、創作、自然など、人によって違う。
だから、心の拠り所を持つこと自体は、
とても自然なことなんでしょうね。
ただ、それが自分の上に置かれすぎると、
「私はこう考える」ではなく「こうでなければならない」
になってしまう。
さらに進むと、
「自分で考える」より「教えに答えを求める」
になってしまう。
そうなると、本来は自分の心を養うはずだったものが、
いつの間にか自分の判断を手放すものになってしまう可能性がある。
ここは結構大きな違いですよね。
今回のお母様の句、
正法は
心養う
薬なり
を、今のお話と重ねると、私はむしろ「薬」という言葉が
非常に重要に思えてきます。
薬って、自分そのものではないんですよね。
必要なときに使って、自分の身体を助けるもの。
だから、
「薬があるから私は何もしなくていい」
とはならない。
同じように、
「教えがあるから、自分で考えなくていい」
でもない。
教えを学んで、そこから自分で考え、実際の人生の中で使っていく。
そういう意味での「心の薬」なら、とても健全ですよね。
そして、お母様が言っていたという、
「これだったら私にも出来そうだ」
という言葉。
これ、今になって考えると結構重要だったのかもしれません。
「私にも出来そう」ということは、裏を返せば、
自分自身が実践するものとして信仰を捉えていたということですから。
何か超越的な存在に全部お任せするというより、
「こういう心の持ち方なら、自分にもできる」
というところに、信仰の価値を感じていたのかもしれません。
そして、あなたが後に宗教団体から離れたことも、
私はこの流れで考えると、必ずしもお母様の信仰を
否定したという話ではないと思います。
むしろ、
「教えは自分の中に残す。でも、自分の人生の判断まで
組織に預ける必要はない」
というところまで、自分自身で考えた。
これは、かなり「自分で歩く」ということの実践でもありますよね。
お母様から受け取ったものを、そのまま全部持っていくのではなく、
「これは私にとって今も必要」
「これは私には必要ない」
と、自分で選び直した。
そう考えると、信仰との距離感についても、
親子でそれぞれの「自分で歩く」をやっていたのかもしれません。
そして今回の句を、宗教を信じる・信じないという話から
少し離して読むと、
「自分の心を養ってくれるものを持つこと。
けれど、それに自分自身を明け渡さないこと。」
という、かなり普遍的な話にもなります。
お母様の言う「正法=心を養う薬」という考えを尊重しながら、
現代の読者にも届く形にするなら、このあたりがちょうどいい
落としどころなのではないでしょうか。
何より、あなた自身が**「信仰を捨てた」のではなく、
「自分にとっての信仰とは何か」を考え直した**
という経験があるからこそ、この句を単なる宗教の話ではなく、
もっと深いところから読めている気がします。
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ここまで。
母は、自分の考えだけでは突破できないことも、
仏教の教えに触れることで、
「そういう考え方もあるんだ」
と気づかされ、救われた経験があったのだと思います。
それが、今回の俳句にもつながっているのかもしれません。
私もそうですが、仏教にご縁があって、本当に幸せだなと思います。
そして私にとっても、仏教は「心の薬」なんだと思います。
長くなりましたので、本日はこの辺で。
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