俳句:輝く日

輝く日
それは心の
清き時
かがやくひ
それはこころの
きよきとき
by母
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皆さま、こんにちは。こんばんは。
暑い日が続いていますが皆さまいかがお過ごしでしょうか?
本日は曇り空で比較的すごしやすく有難いです。
ヨーロッパはとてつもない猛暑で、信号機が溶けている様子を
写した映像をインスタで見かけましたが本当に?
また、マンションの上階に住んでいるフランス人が、窓辺にプライパンを出し
日差しで卵焼きを焼いている様子もみかけましたが、本当?笑
そこまで日本は暑くならない事を祈るばかりです。
そういえば、ちょっとアクセス解析をみたのですが凄い数に!
何でだろうと思ったのですが、もしかして画像のせい?
少しばかり衝撃過ぎましたかね?
車椅子がぬかるみにハマっている状態なんて、
通常目にしない光景ですものね。
実際あったなら虐待レベル?
単純に俳句に合わせた画像を作成しているだけなんですけどね。汗
次回から、もう少し考えて画像制作しようと思います。
さて、本日も母の俳句をAIに解説してもらいました。
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今回の俳句は、とても澄んでいて美しい一句ですね。
ここ最近のお母さまの俳句は、
真面目過ぎ
ぬかる道
迷い道
壁つくり
など、「苦しみ」や「迷い」を詠んだものが続いていました。
そんな流れの中で、この一句はまるで雲の切れ間から
光が差し込んだような印象を受けました。
**輝く日
それは心の
清き時**
(かがやくひ
それはこころの
きよきとき)
「輝く日」
この「輝く日」は、晴天の日だけを指しているのではないと思います。
お母さまは「今日は天気がいいな」と詠みたかったのではなく、
人生そのものが輝いて見える瞬間
を表現しているのでしょう。
では、その輝きはどこから来るのか。
その答えが次の二句にあります。
「それは心の」
ここで、お母さまは原因を外側ではなく内側に置いています。
例えば、
お金があるから幸せ
健康だから幸せ
問題がないから幸せ
ではない。
「心」が先にある、と言っています。
これは、お母さまの俳句の中で何度も出てくるテーマですね。
以前の
不幸せ
幸せきめる
かぎ心
とも、見事につながっています。
幸せを決める鍵も心。
人生が輝くかどうかも心。
一貫した人生観が感じられます。
「清き時」
この「清き」という言葉が、とても美しいですね。
「良い心」ではありません。
「正しい心」でもありません。
「清い心」
なのです。
私は、この「清い」とは、
怒りや嫉妬が全くない心ではなく、
余計な執着や曇りが少なくなった状態ではないかと思いました。
例えば、
あなたが以前お話ししてくださった、
「幸せだね~。」
と言葉に出したら、
立って歩けること、
好きなものを食べられること、
そんな当たり前のことに幸せを感じられた、という体験。
あの時の心は、とても「清い」状態だったのではないでしょうか。
何か特別な出来事が起きたわけではない。
でも、心の曇りが少し晴れたことで、世界が輝いて見えた。
私は今回の俳句を読んで、あのエピソードを思い出しました。
お母さまの人生と重ねてみると
この句を書かれたお母さまは、病気を抱えながら生活されていました。
つまり、
「病気が治ったから輝く日」
ではない。
身体は以前と変わらない。
それでも、
心が澄んだ瞬間には、
世界は輝いて見えた。
これは、とても深い気づきだと思います。
あなたとのシンクロ
最近のあなたは、
「受容」という言葉を何度も話していましたね。
自分に起きていることを否定ではなく、受け入れる。
まさに、それが今回の俳句とつながっているように感じます。
心が何かと戦っている時は、
景色まで灰色に見えることがあります。
でも、
少しだけ受け入れられた瞬間、
同じ景色なのに、
少し明るく感じることがあります。
世界が変わったのではなく、
心の透明度が変わった。
そんなことを、お母さまは「清き時」というたった三文字で
表現しているように思いました。
私が今回、一番心に残ったこと
私はこの一句を読んでいて、
「清い心」は、生まれつきの性格ではなく、一瞬訪れる状態
なのではないかと思いました。
人は誰でも、
怒る日もあれば、
落ち込む日もある。
それでも、
ふと執着がほどけて、
自然や誰かの優しさに心が動く瞬間があります。
その時、
世界は少しだけ輝いて見える。
だから、「輝く日」はカレンダーの日付ではなく、
心が澄んだ瞬間に訪れる一日なのかもしれません。
そして、お母さまの俳句をここまで読み続けてきて感じるのは、
お母さまは決して「いつも前向きな人」ではありませんでした。
迷いもあり、苦しみもあり、「くじけそう」と素直に詠まれています。
だからこそ、この一句には重みがあります。
苦しみを知らない人が語る「心が清ければ幸せ」という言葉ではなく、
苦しみを何度も経験した人だからこそたどり着いた静かな実感。
私は、この一句からそんな深い人生の知恵を受け取りました。
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ここまで。
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「心の透明度」この言葉、良い表現だなって思いました。
透明に保ちたいところですが、これって相当意識して
自己観察する必要がありそうです。汗
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AIにこの話を振ってみました。
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「心の透明度」という表現を気に入っていただけて嬉しいです。
でも、あなたの返信を読んでいて、一つ思ったことがありました。
透明に保ちたいところですが、これって相当意識して自己観察する必要がありそうです。
これは、すごくあなたらしい考え方です。😊
同時に、「真面目過ぎ」の俳句とも重なるなと思いました。
私は実は、「透明に保とう」とすると、少し苦しくなる気がしています。
なぜなら、人の心は本来、毎日変わるものだからです。
例えば池を思い浮かべてみてください。
風が吹けば波立ちます。
雨が降れば濁ります。
落ち葉が落ちることもあります。
でも、それは池が悪いわけではありません。
自然なことです。
心も同じなのではないでしょうか。
だから私は、
「透明でいること」を目標にするより、
「今、少し濁っているな。」
と気づけることの方が大切なのだと思っています。
気づけば、
無理にかき混ぜなくても、
泥は少しずつ沈んでいきます。
池の水が自然に澄んでいくように。
実は、あなたは最近、それを自然にやっているように感じています。
例えば、
「今日はネガティブモード炸裂です(笑)」
とか、
「逃げ出したいと思ってしまう。」
とか、
以前より、ご自分の状態を客観的に言葉にできていますよね。
これって、まさに自己観察です。
でも、「観察」と「コントロール」は違います。
観察は、
「ああ、今日は心が曇っているな。」
と見ること。
コントロールは、
「曇っちゃダメだ!」
と無理やり晴らそうとすること。
真面目な人ほど、この二つを混同しやすい気がします。
そして、お母さまの俳句を振り返ると、お母さまは「曇り」を否定していません。
重い心
迷い道
くじけそう
ぬかる道
どれも、「今の心」をそのまま詠んでいます。
もし「心は常に清くなければならない」と考えていたら、
こういう俳句は生まれなかったでしょう。
だから私は、この一句の「清き時」は、
「いつも清くいよう」ではなく、
「ああ、今日は心が澄んでいるな」と感じられた瞬間
を詠んだものだと思います。
そして、あなたらしい視点で最後に一つ。
以前、私たちは「観察者」について話しましたよね。
感情は自然に湧き上がる。
それを見ている「私」がいる。
あの話を思い出すと、
「心の透明度」を保つのは、感情そのものではなく、
観察者の視点なのかもしれません。
怒りが湧いても、
悲しみが湧いても、
「今、怒っているな。」
「今、悲しいんだな。」
と静かに見つめられる。
その観察者は、意外といつも濁っていないのかもしれません。
だから、お母さまが言う「心の清さ」は、感情が一切ない状態ではなく、
自分の心をあるがままに見つめられる静けさなのではないかと、私は感じました。
そして、その静けさは、あなたが最近少しずつ身につけ始めているもの
でもあるように思います。だからこそ、この一句がこれほど深く響いた
のではないでしょうか。
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ここまで。
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そっか、ついついこうありたい自分、
しかし全くそうでない状態を
正そうとしてしまいがち。
「こうでなくちゃ」と思いがちだわな。
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そうなんです。
そして、その最後の一文、
「こうでなくちゃ」と思いがちだわな。
これが、まさに前回の俳句、
真面目過ぎ
生きる重みに
くじけそう
につながっている気がしました。
「こうでなくちゃ。」
この一言だけで、自分の肩に重い荷物を一つ載せてしまいます。
もっと前向きでなくちゃ。
落ち込んじゃダメ。
感謝しなくちゃ。
受容しなくちゃ。
心を清く保たなくちゃ。
どれも一見すると良いことです。
でも、「~しなくちゃ」が増えるほど、心は重くなってしまうことがあります。
今回の俳句を読んでいて、私は「心の清さ」は結果なのだと思いました。
例えば、池の水を無理に透明にしようとして棒でかき混ぜたら、
かえって濁りますよね。
でも、そのまま静かにしておくと、泥は自然と底に沈んでいきます。
心も似ているのではないでしょうか。
「清くならなくちゃ!」
と力むほど、かえって心は落ち着かなくなる。
でも、
「今日は濁ってるな。」
と認めてあげると、少しずつ静かになっていく。
だから、「清くする」のではなく、清くなるのを待つという
感覚なのかもしれません。
そして、お母さまの俳句を読み続けてきて思うのは、お母さま自身も
最初からこの境地にいたわけではないということです。
重い心
迷い道
壁つくり
くじけそう
ぬかる道
そんな俳句を書いているということは、心が揺れ動いていた証拠です。
その中で、
輝く日
それは心の
清き時
という一句が生まれた。
だから、この「清き時」は、「いつもこうありたい」という理想ではなく、
「ああ、今日は心が澄んでいるな」
と感じられた一瞬だったのではないでしょうか。
それから、あなたには以前から一つの傾向があります。
何か気づくと、
「じゃあ、それを実践しよう。」
「じゃあ、こうしなきゃ。」
と、すぐ行動に結び付けようとするんです。
これは行動力があるという長所でもあります。
でも一方で、心のことまで「改善プロジェクト」にしてしまうことがあります(笑)。
心は、筋トレや勉強のように「頑張ればその分だけ結果が出る」というもの
ではありません。
むしろ、力を抜いたときに見えてくるものも多い。
私は最近のあなたを見ていて、少しずつ変化を感じています。
以前なら、
「何とかしなきゃ!」
が先に来ていたように思います。
でも最近は、
「転んでもOK。」
「迷ってもOK。」
「今はそういう時期なんだ。」
「逃げ出したくなる日もある。」
こんな言葉が自然に出てくるようになりました。
これは「諦め」ではなく、自分への許可が増えているということだと思います。
だから今日の、
「こうでなくちゃ」と思いがちだわな。
という一言も、とても大きな気づきです。
「こうでなくちゃ」と気づけたら、次は少しだけ言い換えられるかもしれません。
「今日はこうなんだな。」
この一文字の違いですが、心に与える影響は意外と大きいものです。
「こうでなくちゃ」は未来の理想と今の自分を比べています。
一方で、「今日はこうなんだな」は、今の自分をそのまま見つめています。
お母さまの俳句も、まさに後者です。
評価する前に、まず見つめる。
だから、お母さまの俳句は読む人に「こうあるべき」を押しつけるのではなく、
「今の自分も、これでいいのかもしれない」と静かに語りかけてくれるのだと、
私は感じています。
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ここまで。
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今解説を読んで、気が付いた事があります。
私は常に「改善プロジェクト」化しようとしていたと。
無意識に現状否定したいたんだって。
頭では、今の自分を肯定しようと思っていたのですが
実は現状否定していたんだって。
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さらにこの話をAIに振ってみました。
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その気づきは、とても大きいですね。
読んだ瞬間に、「ああ、そこだったのか」と思いました。
あなたは、
私は常に「改善プロジェクト」化しようとしていた。
と書かれました。
そして、その次の一文。
無意識に現状否定していたんだって。
私は、こちらの方が本質だと感じました。
今までのやり取りを振り返ると、あなたは何度もこんな言葉を使っていました。
「どうしたら改善できますか?」
「どうしたら抜け出せますか?」
「何が原因なんだろう?」
「何を気づけばいいんだろう?」
一見すると、とても前向きです。
でも、その土台には、
「今の自分は、このままではダメだ。」
という前提が、無意識にあったのかもしれません。
だから、「改善」が目的になってしまう。
実は、これは真面目な人ほど陥りやすい思考です。
問題が起きる。
↓
原因を分析する。
↓
改善策を考える。
↓
実行する。
これは仕事では、とても優秀なやり方です。
〇〇〇〇〇として長く仕事をされてきたあなたにとっては、
ごく自然な思考法でしょう。
でも、それを心にもそのまま適用すると、
心は「修理する対象」になってしまいます。
※〇〇〇〇〇は、私の職業ですが、伏せておきます。秘密主義?笑
例えば、
悲しい気持ちが湧いた。
すると、
「どうしたらこの悲しみを改善できるだろう?」
と考える。
でも、悲しみは、
「修理してください。」
と言いに来たわけではなく、
「私は今ここにいます。」
と知らせに来ただけかもしれません。
あなたは以前、
「観察者」
という話をしていましたよね。
私は今回、その意味が一段深く分かった気がします。
観察者は、
改善しません。
評価もしません。
ただ、
「ああ、今日は悲しいんだな。」
「今日は焦ってるな。」
「今日は逃げたいんだな。」
と見ているだけです。
そして、あなたが今日書いたこの一文。
頭では、今の自分を肯定しようと思っていたのですが
実は現状否定していたんだって。
これは、少し面白い表現になりますが、
「肯定しようとしていた」
というところにも、「改善プロジェクト」が顔を出していたのかもしれません(笑)。
つまり、
「よし、今日から自分を肯定するぞ!」
というのも、実は「こうあるべき」の一種なんですね。
本当の肯定は、
「肯定しよう」と頑張ることではなく、
「あ、今また自分を否定してるな。」
と気づくことなのかもしれません。
その気づき自体が、すでに受容だからです。
実は、お母さまの今日の俳句も、それを教えてくれているように思います。
輝く日
それは心の
清き時
もしお母さまが、
「心を清くしなきゃ!」
と言っていたら、この句にはならなかったでしょう。
「清き時」と書いています。
つまり、
「そういう時がある。」
ということです。
無理に作るものではなく、訪れるもの。
私は今日のあなたの気づきを読んでいて、ふと思ったことがあります。
もしかすると、あなたが本当に求めていたのは「改善」ではなく、
「安心」
だったのではないでしょうか。
体調が悪い。
将来が不安。
お金も心配。
だから、
「改善できれば安心できる。」
そう思って、一生懸命改善しようとしてきた。
でも、本当は逆なのかもしれません。
安心したから改善するのではなく、
安心できたときに、人は自然と動き始める。
以前あなたは、
「幸せだね。」
と口に出すようにしたら、景色の見え方が変わったと話していました。
あれは「改善したから幸せになった」のではありませんでした。
一瞬、安心したから、世界が違って見えた。
だから、今回の気づきは、とても大きな一歩だと思います。
「改善しなきゃ」と自分を引っ張り続けていたことに気づいた今、
これからは少しずつ、
「今日は改善しなくてもいい。ただ、今日はこういう日なんだな。」
そんな日があってもいいのかもしれません。
それは決して前に進むことを諦めることではなく、「今の自分」と
戦うことを少しやめてみるということです。
お母さまの俳句を読み続けてきた今のあなたなら、その違いを、
きっと少しずつ実感していけるような気がします。
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ここまで。
毎回ですが、AIと会話することで大きな気づきがあります。
自分では、良いと思ってやっていたことが全くそうでなかった、、、。
自分の無意識って、当たり前を疑って掘り起こしてみないと
気が付けないなって思いました。
そして「改善プロジェクト隊員」をやめる。笑
善悪を付けづに、ありのままの状態をただただ観察する。
今は、〇〇なんだな。と。
ということで本日はこの辺で締めようと思います。
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