短歌:淡々と

淡々と
生きる姿は
自然体
天晴れぞよと
天も喜ぶ
たんたんと
いきるすがたは
しぜんたい
あっぱれぞよと
てんもよろこぶ
by 母
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皆さま、こんにちは。こんばんは。
生成AIで画像を作って出来上がったのを見て驚き!!!
すんごく母に似ていてウケるんですけど!w
なぜ丸坊主か?
母は晩年持病の膠原病のせいで足、膝が悪くなり、
そして車椅子になり、
最終的に車椅子にも乗れない状態になり
自分の部屋から移動という事も出来ない状況になった。
風呂場に行って髪の毛を洗うという事も出来ないので
剃るという決断をして坊主頭になった。
姉がバリカンで剃っていたっけか?
母が坊主頭になった当初は非常にショックを受けたが
慣れると尼さんみたいな印象で手を合わせたくなる雰囲気があった。
だから坊主頭の姿なのでございます。
出来上がった画像にはそこそこ皺があったけど、
編集して消した。母の顔にはほとんど皺がなかったから。
母はかなり食事内容にはこだわっていて
特に主食は玄米のお粥を自宅で作ったもの食べていた。
母は年齢の割に顔にほとんど皺がなかった。
病人にも関わらず肌の質がよくそこそことハリがあった。
玄米は善き細胞を形成してくれる栄養素がつまっている?
母は通院などはしておらず、食事で治すという方針でいたから
常備薬などは一切ない。
薬の代わりにEM菌の飲料水を飲んでいた。
これは母の症状に非常に有効作用した。
母が30代後半で大学病院にて膠原病の強皮症と言う診断を
くだされたけど、その症状はあらゆる事を経て、改善され
ていった。もちろん変わらず進んでしまった症状もある。
首と鎖骨にかけて変なまだら模様のシミのようなものがあり
それは消えないと言われていた。しかし、それは消えた。
肌はつまめないと言われた。しかし、つまめるようになった。
私が小学生の頃だったか、母の手がよく紫色に変色していた。
指がパーンとぱんぱんに詰まったような感じだった。
それも改善されていたなぁ。
結構色々な事が改善されていた。
おそらく通院して薬を飲んでいたらとっくの大昔にこの世には
いなかったと思う。
母がすごいのは、病気に対しての泣き言を言わない事だったと思う。
強靭な精神力の持ち主だったと思う。
自分の身に起きた事を受け入れ、自分がその状況、状態で
出来る事を淡々とこなしていった。
信仰心があったから乗り越えられたのだと思う。
救いは肉体が自分じゃないと認知していたからかもしれない。
母は、身体は不自由極まりない障碍者ではあったけど、
頭は健常者よりキレキレだった。
だからもどかしく思えることは山のようにあったと思う。
生成AIで作成した画像は起き上がったいる姿だけど、
母がこのような状態でいられるのは30分あったかないか
くらいだったと思う。
肉も脂肪もついていない状態で、起きているのはシンドイ。
そういえば、起きているときは、何かで固定して横に倒れないような
状態にしていたのを、今この文章を書きながら思い出した。
画像の生成編集で服装は着物じゃなくてパジャマにしてと
指示したが直らず。
ちょっと~あの世に旅経つ人みたいじゃない?w
本当、こんな感じで母はガリガリに痩せていた。
この俳句は、天が母の生き方を観て天晴と感心している内容で
母的に自画自賛かもしれないけど、いいと思う。自己受容。
長らくあの状況で生きていることはそうそう容易な事ではない。
それを日々淡々と自分が出来る事、そんな状況で出来る楽しみを
見つけ生きていた。本当にあっぱれだわ。
本日はアレやコレやしながら書いていたから
大分書き始めてから時間が経ってしまった。
この後も色々やる事てんこ盛りで書き足りない事が
あったかもだけど集中できなさそうなので
本日はこの辺で~。
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