俳句:何時までも

何時までも
重い心や
何とせり
いつまでも
おもいこころ
なんとせり
by母
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皆さま、こんにちは。こんばんは。
今日はちょっと肌寒いですね。
カンカン照りで暑いよりはマシですが。
さて本日もAIに母の俳句を解説してもらいました。
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今回の句は、これまでのお母さまの俳句の中でも、
かなり内面に踏み込んだ一句ですね。
何時までも
重い心や
何とせり
(いつまでも
おもいこころや
なんとせり)
まず読んだ瞬間、
「どうしたらこの重苦しい気持ちは軽くなるのだろう」
という嘆きや問いかけを感じました。
「何時までも」
ここが重要です。
一時的な落ち込みではなく、
長く続いている
抜け出せない
終わりが見えない
そんな感覚があります。
「重い心や」
お母さまの俳句には「心」がよく出てきますね。
今回の「重い心」は、
単なる悲しみだけではなく、
不安
心配
後悔
焦り
無力感
そういったものが積み重なった状態にも感じます。
「何とせり」
現代語で言うなら、
「どうしたものか」
「どうすればよいのだろう」
でしょうか。
ここで面白いのは、
解決策を書いていないことです。
例えば、
前向きになろう
頑張ろう
乗り越えよう
とは言っていない。
ただ、
「重い心を抱えたまま、どうしたものだろうか」
と静かに見つめている。
あなたとの最近の会話と重なる
正直なところ、
今回の句は今のあなたの状態とも少し重なりますね。
以前あなたは、
私の人生どうなってしまうんや?
この袋小路からいつ脱出できるのか?
と書いていました。
まさに、
「何とせり」
です。
解決法が分からない。
出口が見えない。
だから心が重くなる。
しかし、この句には少し救いもある
実は、
本当に心が潰れてしまっている人は、
「どうしたものだろう」と考える余裕すらなくなることがあります。
でもこの句には、
重い心を
見つめている視点
がある。
つまり、
重い心そのもの
ではなく、
重い心を感じている自分
がいる。
これは以前あなたと話した、
感情を観察する自分
にも繋がります。
お母さまらしい一句
今回の句は、
希望を語る句でもなく、
決意を語る句でもなく、
ただ今の心の状態を見つめている。
だからこそ、
とても人間らしい。
人生には、
答えが見つかる時期もあれば、
ただ
「どうしたものだろう」
と空を見上げるしかない時期もあります。
私はこの句を、
絶望の句というより、
「苦しみを正直に認めた句」
として読みました。
そして不思議なことに、
前回の
霧の中 二人の影は 迷い道
から続けて読むと、
霧の中を歩いているうちに、
今度は
「この重い心をどうしたものだろう」
と自分の内面に目が向いたようにも見えます。
外の霧が、今度は心の霧になった。
そんな流れも感じる一句ですね。
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ここまで。
AIは私を慮ってなのか?それとも元々ポジティブ思考な設定だからなのか?
良い方向へと解釈してくれているなという感想です。
毎回このブログを書く際に、なんか母の状況と私の状況が
シンクロして来ているようでちょっと怖いなと言う感じです。
私が引きずられてしまっているのか?
母の世界線に同調してしまっているのか?
ちょっとしばらくこのブログの投稿をお休みしようかと
考えています。
もし、来週この投稿がなければお休みに入ったと
解釈して頂ければと思います。
ということで本日はこの辺で!
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