母の考え方 その6 メモ:「教育」から
皆様、こんにちは。こんばんは。
ちょっと父の状態も記録をつけておこうかと。
先週の月曜辺りだったかしら?
父の痛風が発症した、いやその前から少しずつ違和感が
あったようで、とうとう足の親指の付け根辺りが腫れて
痛み出したので病院に行き処置をしてもらわないと、
というような心境になっていた。
(私は基本、病院に行かない派で、父は何でもかんでもすぐに
病院、薬!となる。)
父が自分で携帯で病院に予約を入れようとしたけど、
予約システムが変更になり、やり方が不明で予約が取れず
というような事を数日前のブログで書いた。
通常なら、携帯の操作が出来ない時は私にやってと言ってくるのだけど。
私は単純に父の食生活の偏りでそういう症状が出ていると
なんとなくそう思ったので、病院には行くなと告げる。
結局、自分のライフスタイルを変えない限り同じ事を繰り返すのだと
一時的に注射でごまかして痛みを取ったら、治ったと勘違いを起こし
また、食生活を変えないからさらに悪化するよと強調した。
ま、私がアレをやれ、コレをするなと色々とやった結果、
今日調子を尋ねたら、なんとかなり改善して来てもうほぼ痛みがないようで
腫れも引いたようだ。
循環を促す事をしただけで症状はここまで改善する。
さて~、本題に入ろうかしら。
昨日の続きです。
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◎正邪、善悪
正善 邪悪
善業 悪業
教育は人の機根を見て説け
十把一絡げの教育は如何に雑で心無い扱いであるか、推して知るべし
ですね、そんな教育で心財は育つでしょうか、教育改革とか、教育再生
とか、政権が変わる度、文部大臣が変わるたびに派手なスローガンを掲げ
現れますが、同じ事の繰り返しで、暇つぶしと無駄使いはどの大臣も変わ
らない、目先の変化でごまかさず根本的解決に、勇気ある行動を期待して
おります。
◎親孝行
親孝行あれば、親不孝有り、親孝行も親不孝も形は色々ですが一番の
親孝行は立派に自立して成長した姿が、一番の親孝行である。
親を安心させることが親孝行であり親不孝は心配するよぅな生き方を
している事です。
人の為に遣っているつもりでょうが、実は自分の徳と成っていることを
知らない、善業と言って善い事をした報いが必ず有る。銀行に貯金をして
いる様なものです。
◎文字の心とは
文字は読めても、文字の心を読めない。文字の心とは何か、
これは教わらなければ、無理かもしれない。
毒気深入
◎信じる
信じるとは、何が有っても疑わないと言うことです。
但し、信じる相手に依り或いは、信じる物事によって話は違ってきます。
信じる判断基準を以ていることが大切です。
◎人
人、此の文字の由来は人と人が助け合うと言う形になっているそうです。
確かに、実際に私達は教え教えられと言うお互い様の仲間なのです。
お互いに師なのです、とかく人間は、やってあげたのに、してあげたのにと、
恩着せがましいことを思ったり、言ったりする人が居ますがそれは傲慢な
心の人です。
「情けは人の為ならず」
「かけた情けは水に流しうけた恩は石に刻む」
(子供達の校長先生のお話)
◎大きな誤解
教師、自分は子供達に教えているんだ、是は事実
次第に慢心が態度に現れ悪さをしでかす。
「遣ってやってると言う意識」
ここが大きな間違い、人間の行いは全て自分の為に行っている。
見える現象だけを見て見えない真実を見ようとしない。
善いにつけ悪につけ自分の行えには必ず報いがある、故に行いが大切と
言われるのです。
慢心は徳を消し不道徳なり罪の道を開く。油断大敵、心せよ。
※見えない、教材
体験は、真実を学ぶ生教材です。
※見える、教材
目に見える形や、行いは
喩えであり、例えである。言わば仮に、仏教では権教(ごんきょう)と言います。
人は見える物しか信じないし、言葉だけでは理解出来ない
悪い事は、簡単に覚えてしまうが、善い事はなかなか身に付かないものである。
教育が無ければ、国は無法地帯なり、テロの温床と成りかねない。
学問だけと言う偏見教育ではなく真の教育を行って頂きたい。
真の教育とは、一言で尽きる言葉は無いので此処には示す事は出来ません。
◎真実
体験した時に初めて真実を知る。文字や言葉は仮のもので知識や方便の類で
あります。
◎幸せな人生を歩む為に
・善い事にも、悪い事にも感謝。
・自分に感謝できる生き方。
・自分に恥ずかしく無い生き方をする。
・徳を積む生き方を。
・人の為、国の為に生きる。
・自分を好きになる人生に。
・人をいじめたり、意地悪をしたら必ず、
自分にしっぺ返しが返ってくる。
遣ったら遣られる。これを道理と言う。
・悪には悪の報い、善には善の報い。
・悪業と善業(行)
・善行を重ねる事が徳となる。
・徳はお金どころではない。お金に勝る財成り。
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長いわw
ここから私の補足と書きたい事。
さらに長くなる。
〇正邪、善悪
母は、この正邪がすごく好きだった。
善が悪を倒すドラマとか。
ま、ドラマって大体そうなるのが気持ちがいいわよね。
バッドエンドは気持ちがモヤモヤでしかない。
善が悪に滅ぼされて終わる。そんな希望のないドラマは
絶対にヒットしないんじゃない?
最終的に何か希望を見いだせる終わり方であってほしい。
機根って、わかりやすく言うと、その人のレベルにあった伝え方、
教え方をするという事。
小学生に大学生と同じようには教えないじゃない?
ま、稀に大人より知性が高い子供もいるけど。w
しかし、必ずしもその人の年齢が高くても経験値などで、全く
話が伝わらないことは発生するから、必ずしも年齢ではないかも。
教育って学校の中だけで一方的に先生が生徒にとするものではなく、
一番は家庭からだと思う。
〇親孝行
母はめちゃくちゃ親孝行していた。
祖母は30代半ばで未亡人になってしまい、ものすごい苦労して母ら
子供6人を育てたから、そんな苦労している姿を目の当たりにして生きて
来たから、自分の生活もままならないのに祖母に仕送りやら、色々して
いたらしい。
母は18歳で上京し、ものすごい我武者羅に働いたようだ。
母はよく親の役目は子供を自立させることだと言っていた。
自立して生きて行けるように育てることだと。
私が母に親孝行出来ていたか?どうだろうか?
銀行に貯金云々って言っているけど、宇宙銀行の話?
母的には既にそういった概念があったのだな~。
徳がないと、宇宙銀行には何も溜まらないようだけど。
私には預金があるかしら?w
〇文字の心とは
これって、その時に文字や話している言葉に乗せた〇〇だと思う。
敢えて伏せておく。皆さんは何だと思いますか?
文字はあくまでも共通認識ではあるけれど、自分と同じように
認識していると限らない。だから受け取り方が変わってしまうのだ。
赤色といっても、紅色を思い浮かべる人もいれば、朱色のような赤を
思い浮かべる人もいれば、人によって同じ赤という色でも全く違う
ものになると思う。
その認識の違いから、さらに抽象度が高い言葉になって行けば行くほど
それを同じように受け取るのは難しくなっていくと思う。
言葉はあくまでも表層的なものでしかない。そこに何を乗せるのか?
そこで伝わり方が変化すると思う。
〇信じる
ん~、これはとても難しいのかもしれない。
私は疑り深いからw
素直じゃないから?w
私は自分の直観は信じる。ものすごい当たるから。
〇人
経営の神様といわれる、松下幸之助さんの言葉で、
「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師」
という有名な言葉があるけど、すべての人や物は
または起きる出来事は自分の学びに配置されている。
こういう態度で物事に当たれば、本当にものすごく
謙虚でいられると思う。
母もきっとこういうのに近い気持ちで言ったのだと思う。
父が真逆な性格で、母はほとほと困っていたがw
父のそういった性格から色々と学ことが多かったと言っていた。
結局、他人はいない、すべて自分という立場でみたら
色々なことが学べる。
なんでこういう人を自分の人生登場させたのだろう?
私はそこから何を気づけばよい?と日々私は奮闘している。
「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻め」
母は、私が通っていた小学校の校長先生が言っていたこの言葉に
感銘を受けたと言っていて座右の銘くらいに思っていたと思う。
私が、会社勤めをしているときに、この言葉を会社の男性社員に
話したら、えらく気に入ってメモっていたw
「情けは人のためならず」
これの意味を誤認している人が多いと昔何かで読んだことがある。
情けを人にかけるのは、良くないからするな、みたいなw
それを目にしたときにウケた。
文字だけ見ると、そういう解釈もありなのかw
〇大きな誤解
何があったのだろう?
母の子供時代の話なのか?
教師は子供たちに教えるという立場。
子供からしたら教わるという立場。
表面的はこのような構図かもしれないけど、本当の所、
教師の方が子供から教わる、気づかされるという形で
教師の方が子供から学んでいる、得ている事は多いかもしれない?
テロという言葉が出て来たけど、これって米国の9.11の後だから
こういう言葉が登場したんだと思う。
話がずれるけど、このテロという言葉、どこで刷り込みされてのか?
と思い返した事がある。
私の記憶では、ドラマ「24」だ。
まだ私がテレビを観ていた時代。途中からみたから、訳がわからず
結局途中で挫折してしまった。その後、どういう経緯で見始めたのか?
記憶が定かではないが、レンタルビデオで観た記憶が。
この時は独り暮らしをしていた。ハマって観まくった。
私の推測だけど、テロがいるという刷り込みのためにあのドラマが
制作され、その時期に放映されたと思っている。
あのテロは、全部あの人たちの仕業。。。
知っている人は知っている、知らない人はいまだに知らない。
話をもとに戻そう。
〇真実
これって人によって真実は異なるんでは?
同じように見える体験をしても、体験は個々で異なると思う。
同じ映画を見ても、方や感動!となり、方や金返せ!wとなったり。
〇幸せな人生を歩むために
ほぼそうだと思う。
ここで言われている、善には善の報いが、悪には悪の報いが
ってあるけれど、この判別の基準って、私なりの解釈だと
他者に利益を生むようなことが善で、不利益を被るような事が悪?
なのかしらって。人を騙したり、陥れたりとか。でもこれって
学びの一環にもなるから必ずしも悪ではなかったり。
一見悪には見えたりするけれど。
一番ダメなのは自己犠牲かも?
やってあげたのにってなる可能性が?
まずは自分が幸せになるように自分を満たして
余裕があればおすそ分け。でいいんじゃない?
宇宙銀行にたくさん預金をすべく、善きことを自分へ
そして、余裕があれば他者へ~。
今回の「教育」のメモはここでおしまい。
ちょっと他のメモもまだあるから
俳句にたどり着くまでもう少し時間がかかるかも。
ということで本日はこの辺で~。
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