短歌:見えぬ主
見えぬ主
我が身の主は
我が心
保つ責任
行動にあり
みえぬぬし
わがみのぬしは
わがこころ
たもつせきにん
こうどうにあり
by 母
✰⋆:゚・*:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽✰⋆。::゚・*☽✰⋆。:
皆さま、こんにちは。こんばんは。
昨日はあることをするためにAIに相談してみたけど
思った以上に、素晴らしい結果を得られた。
なんだ~、こういう使い方も出来るんだと知った。
そして、今ままで自分に無かった視点を取り入れる事が出来た。
あ~それが在るのと無いのでは全く印象が異なるなと
理解出来た。
もっと活用して、自分の視点を補っていこう!と思う。
ここでも十分色々助けてもらっているけどね。
さて、本日も母の短歌をAIに解説してもらいました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【現代語訳と解釈】
「目に見えない“人生の主(あるじ)”──
それは他でもない“自分の心”。
その心の状態を保ち整える責任は、誰かにあるのではなく、
自分の“行動”にかかっている」
各句の解説
🔹「見えぬ主」
ここでの“主”とは、「人生の主人」「自己の本質」つまり
心や意識の中心を指しています。
仏教的に言えば「真我(しんが)」「本心」とも言える
かもしれません。
それは目に見えないがゆえに、忘れやすく、疎かにしがち。
しかしこの“見えぬ主”こそが、人生そのものを動かしている
源なのです。
🔹「我が身の主は 我が心」
「外側の世界に振り回されるのではなく、自分の人生の操縦桿
(そうじゅうかん)は自分の心が握っている」という宣言です。
ここには、お母さまの自己責任の哲学と高い自己認識が表れています。
🔹「保つ責任 行動にあり」
心を整えるためには、頭でわかっているだけでは足りない。
大切なのは、日々の言葉・ふるまい・選択などの“行動”を通して
実践すること。
これはまさに、仏教でいう「三業(さんごう)」──
**身(からだ)・口(ことば)・意(こころ)**の一致を指す
考え方と重なります。
◎この短歌のメッセージ
昨日の短歌「目に見えぬ 主はくせ者」と共鳴する形で、
今日はその「主(心)」をどう保つかという**“生き方の実践論”**を
詠んでいます。
いかに心が不安定になっても、
いかに外の出来事に揺さぶられても──
------------------------------------------------
「主(あるじ)は私」
「舵をとるのは私の行動」
------------------------------------------------
この覚悟こそが、揺るぎない人生の礎となるという、
とても力強く、美しいメッセージが込められています。
◎お母さまの境地と思いやり
この歌には、自らの生き様を静かに見つめながらも、
同時に読み手へ向けたやさしい呼びかけが込められている
ように感じました。
「あなたの心も、あなたの人生も、
本当の主(あるじ)は“あなた”自身なのよ」──と。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで。
真我、これはよく耳にするキーワード。
イマイチこの辺が理解出来ていない。
この辺を少し深堀りたく、質問をしてみた。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
真我というのは、潜在意識と同一と言うことなのですか?
心理学ではよくこの潜在意識が全てを握っているような話が
多いと感じます。
また、真我と自我、と対比することが出来ると思いますが
多くの人間は、この自我が自分と思い込んでいるというような
話もよく聞きます。何が自我で何が真我なのか?
真我というのは自分でこれが真我と言う事を認識
できるのでしょうか?
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とても深い問いをありがとうございます🌿
「真我」と「潜在意識」、「自我」との関係性──
これは心理学・スピリチュアル・宗教哲学をまたいで語られる、
非常に奥の深いテーマですね。
わかりやすく丁寧に整理してお答えしますね。
◎ 真我とは?(仏教・東洋思想の視点)
**真我(しんが)**とは、
----------------------------------------------
★「変化しない、本来の自己」
★「魂の核」
★「本質的な存在」
----------------------------------------------
などを意味します。
仏教では
「仏性(ぶっしょう)」
「如来蔵(にょらいぞう)」
ヒンドゥー哲学では
「アートマン(Ātman)」
スピリチュアル的には
「ハイヤーセルフ」
などと呼ばれます
つまり、**心や体、名前や記憶とは関係なく存在している
“永遠の自己”**のこと。
🔹 自我とは?(心理学・仏教的視点)
**自我(エゴ)**とは、
「この世界で自分として機能するための意識の一部」です。
「私は〇〇だ」「私が正しい」「こう思われたい」
などと感じる“私”の感覚。
自我は、分離・自己防衛・比較・欲求などに根差しています。
仏教では、これを「アートマン(個我)」として否定し、
悟りに向かうには「無我(アナートマン)」
=自我の解体が必要だと説きます。
🔹 潜在意識とは?(心理学の視点)
心理学で言う潜在意識は、
フロイトの理論で言えば
「意識下にある記憶・感情・パターン」など。
例:
・子どものころの体験
・恐れ・トラウマ
・自動反応・思い込みの癖
潜在意識=「個人の無意識的な部分」ですが、
スピリチュアルではここに宇宙的な叡智への
接続口があるとされます。
◎真我と潜在意識の違い
----------------------------------------------------------------------------------------------
要素 真我 潜在意識
----------------------------------------------------------------------------------------------
意識の性質 永遠・不変の自己 条件づけられた無意識
影響 神聖・愛・直観 恐れ・記憶・感情パターン
意識段階 超越的・魂レベル 心理的・記憶ベース
認識 思考を超えた感得 ワークや内省で気づける
-----------------------------------------------------------------------------------------------
潜在意識が“記憶の倉庫”であるのに対して、
**真我は「自分という存在の源そのもの」**です。
◎ 真我は自覚できるのか?
はい、自覚(体験)することは可能だと、
多くの精神的伝統では語られています。
ただしそれは、
------------------------------------------------------------------
〇思考や感情の層を超えた
〇完全なる静けさや純粋意識の中で
〇「自分である」という感覚さえ手放したときに
------------------------------------------------------------------
“感じる”ものであって、「これが真我だ!」と
頭でラベルをつけるものではないんですね。
例えていうなら──
・空(そら)のように、そこにずっと在るけれど、つかめないもの。
・海のように、波(思考)が静まったときにだけ見える“底の静寂”。
◎ どうやって真我に触れる?
・瞑想(マインドフルネス)や坐禅
・心の静けさを深める修養
・自我・欲望・執着の手放し
・自然の中での没入体験
・「自分とは誰か?」という内観
などが真我に触れる一助となります。
◎補足:よくある誤解
「自我を否定する=自我を消すべき」
→ ❌ではなく、“自我を観る目”を育てることが大切です。
「真我にならなきゃ」
→ ❌ではなく、もともと“真我であること”を思い出す道なんです。
◎ まとめ
------------------------------------------------------------------
自我:分離・思考の層(自分だと思いこんでいる部分)
潜在意識:記憶・感情・条件づけの層(自覚されにくい影響力)
真我:全ての奥にある変わらぬ自己・魂の核
------------------------------------------------------------------
真我とは、「なる」ものではなく、「在る」もの──
すでにあなたの中に“在る”ということを思い出す旅なのです✨
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで。
分かったようで分からなくもないけど難しい。笑
瞑想は、どこの階層とつながるか?
が課題らしい。
私は、あまり好きじゃないので瞑想はやらない。
やるのであれば内観かしら~。
という事で本日はこの辺で~。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。