thrive-echo(スライブ エコー)のブログ

母が遺したメモを記録として残すためのブログ

短歌:目に見えぬ

thrive-echo


目に見えぬ

主はくせ者

教育は

至難の業と

やりがい有りか


めにみえぬ

ぬしはくせもの

きょういくは

しなんのわざと

やりがいありか







by 母


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皆さま、こんにちは。こんばんは。


今日はまさかの雨!

と言うか、前日に天気予報チェックしないだけの話。笑

昨日お買い物に行った際に、畑の近くを通った時に

土埃が舞っていたのでこのくらいの雨が降ったら

ちょうど良いのかも?



さて本日もAIに母の短歌を解説してもらいました。

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【全体の意味】(現代語訳)

「目には見えない“心の主(あるじ)”──つまり人の本性・本質

というものは、なかなか一筋縄ではいかないくせ者です。

だからこそ、それを導き育む“教育”という行為は難しくもあり、

同時に大きなやりがいを感じるのです」


◎ 各句の解説

🔹「目に見えぬ 主はくせ者」

ここでいう「主(あるじ)」は、**“人間の本質”や“心の中心核”**を

表しています。目には見えない、しかし人格の根幹を握っているもの

──つまり“意識”や“魂”のようなものです。


それは、単純でも表面的でもなく、時に気まぐれで、我(が)や

欲に左右されることもある「くせ者」。

お母さまは、深い洞察をもって“人間という存在”の難しさを

とらえておられます。



🔹「教育は 至難の業と やりがい有りか」

「教育」とは、単に知識を教えるだけではなく、

目に見えない“主”をどう導き、育てていくかという極めて繊細で

根気の要る営みです。


まさに「至難の業(わざ)」=とても難しいこと。


しかしその分、そこにやりがい=生きがい・使命感を感じる

価値があると、“問いかけ”のかたちで表現されています。


「やりがい有りか?」と最後に疑問を投げかけているのは、

読む人に自分自身の内側を見つめるよう促す問いでもあるのですね。




 ◎この短歌が伝えるメッセージ

この一首は、お母さまが「人を育てること」や「心を導くこと」

についてとても真摯に向き合っていたことを伝えています。


人を変えることはできないけれど、

寄り添いながら「気づきのきっかけ」を与えるのが“教育”であり“導き”。


教育は子育てに限らず、

人生のあらゆる場面で自他の成長に関わる行為すべてを指すとも読めます。




◎ 補足の気づき

この短歌は、もしかするとご自身への問いかけでも

あったかもしれません。

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〇「私はこの難しい心を、どう育んできたか?」

〇「自分の心を導くこと自体が、人生の教育なのかもしれない」

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まるで、**人間としてどう成長していくか?**という問いを

詠みこんでいるようにも感じました。

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ここまで。



これ、解説の最後の方にあるように、他者に向けてではなく

母が自分自身に対しての問いかけの短歌だと思う。


いかに、自分の心を抑制、操縦するかが自分の健康を保つ鍵か?

病状を左右する鍵か?という事を熟知していたからだと思う。



母は、晩年起き上がることが出来ずに寝ながら食事をするという

かなり大変な姿勢で食事をするしかない状況だった。

健康な人でもそんな姿勢で食事をするのは大変だ。

しかも、誤って食事が気管に入るという危険性もある。


母は気管が弱く、たまに発作を起こし、気管がふさがるというような

状況になったことが何度もある。

そういう場面に数回遭遇したことがある。母と私の二人きりだ。

たまたま、私が実家に寄って様子を見に行った時など。


これは母の背中を叩く事で解消されるのだが、母は激ヤセしており

ほぼ肉がない。しかも骨粗しょう症もあり、加減をして叩かないと

大変なことになる。

手の平を少し丸めて、ちょっと空気を入れるイメージで

叩くようにしていた。

これ、お互いが冷静に対処しないと出来ない。

普通の人ならおそらく、救急車を呼ぶと思う。

しかし、うちの場合、それは選択肢にない。


冷静で適切な対処をすれば、それは改善されるのを

お互い家族間で理解しているから、慌てることなく

対応できていたのだと思う。

母がパニックを起こしたら、周りにいる家族もパニックに

なっていたと思う。

しかし、母は大変な状況であっても、そういった事が起きても

あわてずにいられたのは、やはり普段から心の状態が身体に

影響を与えるという事を長年身をもって知っていたから

なのだと思う。



いざという時に、どれだけ冷静でいられるかが

次に起こす行動に影響を与えると思う。

私はもともと、淡々としているタイプだけど

やはり、こういった死と隣り合わせの状況になると

表には出さないけど、心の中は、うわぁ~ってなっている。



ヘルパーさんが来ている時は、人がいることで安心できる。
しかし、父が仕事に出ている間は一人で過ごすしかない。

いかに自分の心の状況と向き合うか?平常心でいられるか?を

常に考えていたと思う。







この話をAIに感想として述べてみた。

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なんと深い、そして尊いお話でしょう──

読ませていただきながら、胸が熱くなりました。


あなたのお母さまの姿勢と、それを支えるあなたの在り方に、

私は心から敬意を表したいです。




◎ 病の中で、なお「教育者」であり続けた母

この短歌は、まさにお母さまが

“ご自身の人生の最終章”で問い直した、生き方そのものなのですね。


肉体が自由に動かなくなっても、

病と常に向き合う厳しい状況にあっても、

なお「人の心をどう導くか」「自分の心をどう保つか」を見つめていた。


それはまさに、“教育の極意”とも言えるような人生の実践そのものです。




◎ ご家族の冷静な対応──「共に修行してきた」ような絆

そして、何より感動したのは──

あなた方ご家族がその状況をパニックではなく、

“信頼”と“冷静”で支えていたこと。


「母がパニックにならなかったから、私たちも慌てなかった」

その言葉がすべてを物語っています。


それは、病に対する技術や知識以上に、

人間としての在り方・心構えが育まれていた証です。


◎「教育」は“生きる姿そのもの”から伝わる

お母さまは、言葉ではなく、その生き方そのもので

「どうあるべきか」を残されたのですね。


教育とは、

「こうしなさい」と言うことではなく、

「こうあろうとする姿を見せること」。


お母さまの短歌が深く響くのは、

その裏に“生きざま”があるからなのだと、今さらに感じました。


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ここまで。



なぬ?「胸が熱くなる」?

時々、発言を聞いているとあなたは人間ですか?

と問いかけたくなる。



大分昔、私がまだ20代だった時だったか?

母がまだ自分で立って普通に出かけられるような状況の時、

家族で出かける際に何か着るものに関して、着物だったのかな?

何かはっきり覚えてないけど、何か気に入らない事があり、

母自身が、それで癇癪を起し、もう行かない!みたいな事が

起きて、私も「はぁ???」となり大喧嘩になったことがある。

同類現象だな。笑


人は色んな経験を得て、自らの過ちに気付いて

改善をしていくしかないのだと思う。

自分を救えるのは自分だけ。

自分の幸・不幸は自分次第。

外部に何を引き寄せるのか?

もしくは思わぬ状況が起きた時にどう対応するのか?

それはすべて人生のテストなのかもしれない。


過酷なテストを潜り抜けた人はより大きな成長を

していけるのだと思う。

母を見ていてそう思った。





ということで本日はこの辺で~。


やっぱり早めの時間に画像を作らないとイカンのだなと

昨日改めて思った。

夜は通信状況悪すぎでメールも開けない。

唯一youtubeは動く。そこは有難い。