thrive-echo(スライブ エコー)のブログ

母が遺したメモを記録として残すためのブログ

短歌:人生は

thrive-echo







人生は

楽しむことで

いっぱいに

満たしてあげて

残りの時間


じんせいは

たのしむことで

いっぱいに

みたしてあげて

のこりのじかん






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皆さま、こんにちは。こんばんは。


画像の制作をしていたら、どちらも良い感じなので

二枚載せちゃいましたw







本日はワタクシの短歌でございます。

解説も何も、そのまんまって感じですが。



この地球での自分の人生の残りの時間って、

いったいどれだけあるのか?


今の私でいられる時間が後どれだけあるのか?

寿命というのは自分で決めて来ているのか?

それとも、そこは未知数なのか?

運命というは決まっているのか?

これは考えてもわからない。


私は、来世というものがあると確信しているから

死についての恐れ?のようなものはかなり薄い。


死ぬ際に痛みを伴うのだけが嫌なだけであって

死ぬことは自然な事で決して悪い事ではないのだけど

多くの人はそこにいろいろな感情を乗せるから、

悪いイメージが伴うのかもしれない。


誰もが必ず死を迎えるけど、死についての話は何故か

タブー視されがちだ。


死の仕組み、死とはなんなのか?

がわからないからだと思う。

私が色々と学んで来て、まぁこうだろうという

方向性は掴んだつもり。



死と誕生は隣り合わせ、表裏一体、而二不二。

死とは無くなる事ではない、蝶々で例えるなら

住む世界が変わること。

芋虫時代は、葉の上で葉を食べて暮らす。

蛹になり、変容して空を飛ぶようになる。

食事は葉から花の蜜に変わる。

これに似ていると思う。


人は死んで肉体を脱ぎ捨て、霊体になり別の次元へと

移動する。行くところは人それぞれ、その人の放っている

振動数で決まる。

重い振動数で生きている人は重い振動数の階層へ、

軽やかな振動数を放っている人は軽い振動数の階層へ。

単純な振り分けだ。




重たい振動数とは何か?

それは、怒り、嫉み、執着などだ。

これを持っている人は、きっと近づきたくないようなものを

放出していると思う。

その人自身もおそらく苦しい状態だと思う。

でも、長らくそれがデフォルトで生きているから

そこに気が付けないのだと思う。

自分の中での当たり前には、人は気が付けない。

他者が指摘しても、なかなか気が付かない。

下手に逆恨みされると困るから、指摘しないでおこうと

放置される場合もあると思う。



そういった重たい振動数から解放されると

人はとても生きやすいと思う。

重たい振動数を足に着けた鉄の塊のようなものに

例えると分かりやすいかもしれない。

それをつけたまま、海に放り投げだされたなら

間違いなく、沈んで行く。
地上にいると、いまいちその重量感に気が付けないかもしれない。

なぜなら、なんとか引きずって歩けるからだ。

だから、多少?不便さは感じてもそのままでいるのかもしれない。


そんな状態でも人はそれがデフォルトになると

コンフォートゾーンになっているのかもしれない。


井の中の蛙じゃないけれど、そこしか知らないと

それが当たり前、他の世界があると気が付けない。

それがゆえに、足に繋がっている重い鎖の玉を

外そうとは考えない。

それを外して出て行こう、脱出しようとは考えも、

思いつきもしないのかもしれない。


私が何でこんな事を書いているのかと言うと

多くの人に気が付いてもらいたいからだ。


人が放った念はそこに、その場所に、その土地に残るようだ。

重たい振動数ほど、そこに定着してしまうのかもしれない。

戦場跡地などに、住宅地なんぞ立てようものなら

オカシナ事が起きそうと、誰しも想像がつくと思う。

無念、怒り、悲しみ、などの感情を持って亡くなったであろう

事は容易に想像できる。


それと同等に考えても良いかと思う。


そういった重たい振動数を抱えて生きて行くよりは

軽やかな振動数で生きて行くのが望ましいと思う。

軽やかな振動数は何か?個人的には『感謝』の気持ちだと思う。

一人暮らしをしていた時に、真冬にお風呂が壊れ、

入れない日があった。当時、冷え性の私からすると

非常にシンドイ経験だった。

姉に連絡してお風呂を借りに行った事がある。

寒い日に湯舟に浸かれるときは、本当、有難いなと感謝の気持ちになる。


洗い物をしているときも、ボタンを一度押すだけで

暖かいお湯が出てそれで洗い物が出来る。

インフラが整備されているところに住んでいると

それが当たり前だから、なんとも思わない人が多いかと思う。

しかし、一度でもそれで打撃を受けた事があると、

考え方が変わってくると思う。そうならない人もいるかも?w



感謝の念を持って生きるのと、怒りや嫉みなどを抱えて生きているのとでは

怒りや嫉みなどを抱えて生きているのとでは

全然違った出来事を引き寄せて行くと思う。

どこにチャンネルを合わせるか?見える景色が異なるからだ。


先日ミャンマーで誰も予想しない大きな地震が起きて

多くの人が突然亡くなるという事になった。

必ずしも、人は老いて亡くなるわけではない。


いつ亡くなってもいいように、普段から軽やかな振動数を放ち

生きて行くことが、今後来るであろう、また別の人生にも

善き影響があると思う。




初めにサックと短く書く予定だったけど

書いているうちに、なんか長くなってしまった。



一つ勘違いしないでほしいのは怒るのはダメとか怒りを持つのが

ダメって事ではない。怒りは必要な感情であるから、それは

必要に応じて放出すべき感情だと思う。

ただ、人を恨んだりして執念深くそれを持ち続ける事でダメージを

食らうのは、その怒りを向けられた相手ではなく、放った本人に

帰結するという事を知っておく事かもしれない。



という事で本日はこの辺で~!