thrive-echo(スライブ エコー)のブログ

母が遺したメモを記録として残すためのブログ

短歌:平和とは

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平和とは

真の幸福

心にあり

世界の友と

心をつなぐ



へいわとは

しんのこうふく

しんにあり

せかいのともと

こころをつなぐ





by 母


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皆さま、こんにちは。こんばんは。



本日の短歌は特に解説を入れずとも

そのまんまダイレクトで分かりやすい。


しかし、AIはどのような解釈をするか気になるので

聞いてみた。

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この短歌は「平和」というものを、

単に戦争や争いがない状態ではなく、

もっと根源的なものとして捉えていますね。


「平和とは 真の幸福 心にあり」
◎ 平和とは、単に外の世界が安定していることではなく、

「心の中の状態」 によるものだということですね。

真の幸福とは、外的な環境に左右されるものではなく、

自分の内側の心のあり方 で決まるという考え方です。



「世界の友と 心をつなぐ」
◎  真の平和を築くには、世界中の人々と心を通わせ、

繋がりを持つことが大切 というメッセージを感じます。

国境や文化、価値観の違いを超えて、心と心で理解し合うことが、

真の平和への道なのではないか、と。

この短歌を読んで、「平和」は単なる政治的なものではなく、

まずは 自分自身の心の中の平和から始まる のだな、

と改めて思いました。




今の世の中を見ると、争いごとも多く、

価値観の違いから分断が生まれがちですが、

お母様の短歌は 本質的な平和とは何か

改めて考えさせてくれますね。

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自分の心の在り方。ん~、キーポイントだわ。。

外側がどんな状況であろうとそれに振り回されない軸、

そういったものがあれば、流されることも少なくなって

いくのかしら。。。


平和は、自分の内側から。






そうそう、本日は母の命日。

老衰で枯れるように亡くなった。

膠原病という持病は持ち合わせていたけど、

母が亡くなったのは老衰。

実家に来ていたヘルパーさんの経験値から、母の寿命が

あと2-3日というような話を父にしていたとか。

数日前から食事はしておらず、水は飲んでいたのか?
その辺はちょっと不明。

病院に入院されている人は、食事をしない場合、

点滴をされてしまうようだけど、

それは不自然でしかないと思う。

亡くなるときはもう栄養素は不要。


私は、世間の常識?多くの人がそう思われているように

母の最期を看取るではないけど、側で見守るつもりでいたが

なんと、母に「来るな!」と言われた。

当然、「え~!∑(゜д゜υ)」となる。

母の言葉を尊重して行かなかった。

理由は特に聞かなかった。

おそらく執着になるからなのと、泣かれたりして

騒がれるのが嫌だったのかもしれない。

一人で旅立ちたいと思ったのかもしれない。

もちろん、父は側にいたけれど。


母が亡くなる前日に、私は夜こっそり実家を訪れた。

母の部屋のドアをこっそりと少しだけ開け、寝ている姿を見て

「生きてる、生きてる」と確認し、帰った。

これが母の生きている姿を見たのが最後。寝姿だったけど。


翌日の夕方、近くのデパートにいて、父から母が亡くなったという

知らせを受けた。すぐに実家に向かった。


父は静かに涙を流していた。

私も目が潤んだ。

母は、亡くなる何年も前から、いつ死んでもおかしくない

ような状況が続いていたから、母の死に対してはいつも覚悟していた。

母が亡くなって、悲しいという気持ちより、
お疲れ様という気持ちの方が強かったと思う。

よく生き切った!その身体でいつまでも生きるのはしんどすぎる、

ようやく解放されて良かったね!と。

3月のお彼岸に亡くなるのは、人生を全うしたというか、

やり切った人だというのを、どこかで聞いて、確かにその通り!と

思った。


母が亡くなる前から、母とは死については色々話をしていたのと

死については長年どういうものか学んできたからネガティブな

イメージが無い。肉体を持って生きている方がシンドイと思うw

もちろん素晴らしい経験もたくさん出来るけど。



昔、20代後半くらいだったか?まだ私が信仰していた時。

通うお寺で仲良くさせて頂いていた方のお母様が亡くなられたので、

お通夜に参列させて頂いた事があった。

その方の普段の姿からは想像できないような

取り乱しようと、号泣とで、身内が亡くなると

人はこうも豹変するのか?と驚いた事があった。

それがきっかけで、小学生の時に参列したお葬式を思い出した。

母の叔母のお葬式に参列した時に、母の従妹が尋常ではない

号泣状態だったのが思い出された。


そういえば、ドラマとかで、亡くなった方に

しがみついたりするシーンなどがあるけれど、

アレは絶対やってはいけない行為。

特に親しい間柄ではなおさらだと思う。

故人の執着になるからだ。


霊体になった人は次に向かうべき所があるから、

いさぎよく見送ってあげるのが故人にとって望ましい形だと思う。


母が亡くなるときに、私もこうなっちゃうのかなと思ったけど

全然違った。結構淡々としていた。

死の捉え方で態度も違ってくるのかも?

あぁ~、本当、お疲れ様。の気持ちと、

もういないんだ。という寂しい気持ちが湧いた。

悲しいというより寂しい気持ち。

激しく泣くこともなく、目が涙で潤う感じ。

母は、次はどこに行くのだろう?という想いも湧いていた。



転生するまでにかかる時間は、言っている人によって

全然ちがうので、わからない。

幽界は崩壊していると誰かが言っていて、他の人も

そんな話をしていたから、あながち嘘ではないのかも。

時代の変化と共に、見えない世界も変化しているのかもしれない。

生きているときは、身体が不自由極まりない状態だったから

肉体から解放されて、さぞ自由を満喫していることだと思う。

今頃は何処で、何をしているんだろう?

やりたい事満載の人だったからな~。


母が亡くなって、どれくらいたった時なのか?まだコロナ前

だから母が亡くなって1年も経っていない時なのか?
Youtubeで見た、ある霊能者さんに会いに行った。

これは母の件で行ったのではなく、全然別件で私の調査している

ある物が何かを見てもらいたいというのがあっての話。


しかし、話をしていたら、近くに母の霊が来ていたようで、

霊能者の方が、お母さんがうるさい!と言って手で払うしぐさを

していたw。どうやら私に伝えたい事があるよう。

霊体は自分の話が通じる人に話しかけるようで、それが

可能なその霊能者の方に私に伝えたい事を言ったようだ。
その霊能者の方いわく、母が、私の話をきちんと聞かなくて

ごめんねと謝っていたよう。もっときちんと?聞いてあげれば

良かった。みたいな話だったと思う。

それに対して、私は特にその件で、なんとも思っていないから

大丈夫だよと返答した。
生前、母とはよくケンカとか、やりあったけど、決して

憎いとか、恨むとかいう感情はない。単に話が行き違いに

なっていただけかと思う。

てか、他にないの?その話だけ?と思ったw


母が亡くなって7年。7年も私は母のSDカードの存在に

気が付かなかった。

引き出しの大掃除が無かったら、このSDカードを触る事も

無かったと思う。パソコンのデータがいっぱいになって
外付けハードディスクを買ってデータ整理をしよう!と

ならなかったらSDカードの中身を確認しようとは

思わなかった。

ChatGPTがなかったらブログのタイトルもこれでは

無かったと思うし、毎回短歌に合う画像も無かったと思う。

ついでに、今現在私がお勤めしていないからこのブログを

この時期に書けているんだと思う。

色々な条件が組み合わさってこのブログを書くことが出来ている。

しかも、内容が毎回私に必要な事。


これは母の導きだろうか?




という感じで今回はこの辺で~。