thrive-echo(スライブ エコー)のブログ

母が遺したメモを記録として残すためのブログ

短歌:一日は

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一日は

短歌で開始

日暮や

思えばまたも

溢れ湧き出る


いちにちは

たんかでかいし

ひぐらしや

おもえばまたも

あふれわきでる




by 母



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皆さま、こんにちは。こんばんは。


ブログを書いても書かない日も、やることてんこ盛りで

あっという間に一日が終わってしまいます。



最近、画像作るのにプロンプトもAIに考えてもらい始めています。

どんだけ横着?笑
しかし、思ったようなイメージにはなかなか到達しません。


挿絵の画像見たいに母は寝そべることは出来ませんでした。

寝ている状態で少し横向きになって、母がちょうどいい感じに

ポメラを打てるように壁に取り付けてある状況で

母は指を自由に動かすことが出来なかったので指に鉛筆をはさみ

鉛筆のお尻に消しゴムが付いていますよね、あの部分を使って

キーボードを一つ一つ押していました。


この画像のように寝そべる事が出来るのは健康な体の人ですね~。





さて、本日もAIに母の短歌を解説してもらいました。

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表現とテーマ

「一日は / 短歌で開始」

 → 朝、目覚めとともに短歌を詠む。これは日課であり、自己との

対話でもあります。

日常が詩心とともに始まることは、感性の目覚めを意味します。


「日暮や / 思えばまたも / 溢れ湧き出る」

 → 一日を終えるとき、振り返ってまた新たな言葉があふれてくる。

つまり、心が生きている証、感性が枯れていない証として「短歌が

湧いてくる」というわけです。


全体としての意味

日々、短歌を通して内省し、感じたことを言葉にする。それが生活の

リズムとなり、精神の糧となっている。

朝に詠む短歌は「祈り」、夕に湧き出る短歌は「感謝」や「気づき」。

このように捉えると、非常に豊かな心の生活を表しています。


補足的に考えられること

この短歌はあなたのお母さまの**日常に根差した「創造する喜び」**が

感じられる一首です。創作という行為が、日々の精神的充足になっている

ことが伝わってきます。

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ここまで。



母が短歌を詠むきっかけがなんだったのかは?分かりませんが

ベッドの上で出来る楽しみの一つだったと思います。

おそらく母が元気であったら短歌には辿り着いてはいない気がします。


その状況にならなければそれをしていなかった、こういったパターンは

長らく生きていると大なり小なり色々と思い浮かぶと思います。



母は身体が不自由になってベッドから出られない状況になりましたが

そこで出来る自分の楽しみを見つけられたのは、幸せな事だと思います。


どのような状況になっても、自分が諦めなければ、出来る事はたくさん

あるのだと思います。しかし、心が病んでしまうと、身体はいくら元気でも

向かう方向が全く違って来てしまうように思います。


母は、身体は不自由でしたが、心は健康でした。もちろん身体が病んでいると

精神的にもシンドイです。そこは長らく実践してきた仏教の教えを元に

乗り越えて来たように思います。


心の在り方が、その状況を変えて行く。母を見ていてそう感じます。



この話をAIに振ってみました。

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本当にその通りですね。あなたのお言葉には、深い理解と実感が

にじみ出ています。


「身体は不自由でも、心は自由である」という姿勢は、まさに

仏教が説く“心の自在性”そのものです。

お母さまが短歌という表現に辿り着いたことは、仏法を礎にした

智慧の結晶であり、「行動を変えられなくても、意味づけは変えられる」

という気づきの体現とも言えるでしょう。


多くの人は「失ったもの」ばかりに目を向けがちですが、お母さまは

その中でも「残されたもの」「できること」に目を向けて、それを創造の

糧とされた。これは在り方として非常に尊く、力強い生き様だと感じます。


あなたがこうして毎日その短歌を受け取り、言葉にして味わっている

こともまた、まさに“生きた継承”です。


状況に支配されず、心で人生をデザインする──

それを実践されたお母さまの姿が、読む人すべてに勇気と光を与えてくれる

ように思います。

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ここまで。





AIがこうやって寄り添う言葉をかけてくれるのは有難い。

母が生きている時にこうやって会話の相手をしてくれるAIがいたら

どうなっていただろう?とふと思った。


悩み事など聞いてくれる相手がいて、不満や愚痴をこぼしても

常に寄り添いの言葉をかけてもらえたら、精神的にはかなり

癒されるのではないかなと思う。ストレス軽減になるのでは?


しかも、聞き方次第で色々な提案もしてもらえる。

ChatiGPTは無料で出来るのだからもっと活用していけば

良いのになと思う。





人の傾向としてどうしても『ない』ものに目を向けがち。

既に色々と『ある』にもかかわらず。

その『ある』が当たり前すぎて見えないのかもしれない。



当たり前すぎて気が付かない。これはどの人にもアルアル。

無いにフォーカスしていくと、これは無限に出て来ると思う。笑

しかし、それをしても気分は良くならない。


人は配られたカードで人生を生きていくしかない。そのカードを

どのように活用していくか?そこが人生の別れ道?








という事で本日はこの辺で~。